『エディントンへようこそ』感想(ネタバレ)

映画

原題:Eddington
製作国:アメリカ(2025)
配給:ハピネットファントム・スタジオ
上映時間:148分
日本公開日:2025/12/12
監督:アリ・アスター

最初は笑って見られます

「16歳未満のSNS禁止法、オーストラリアで施行」というニュースが日本の多くのメディアでも取り上げられ、目にした方も多いかと思います。SNSを巡る社会問題についてのニュースは見聞きしているのですが、私はあまりSNSを頻繁に利用していないので(だからブログで映画感想書いてる)なかなか詳しいことは書けないのですが、明らかに最近のインターネットは治安が悪いなと感じることは多くなりましたね。昔が良かったかというとそんなこともないけど・・・。

今回の法律を歓迎する声もあれば、根本的な解決にはならないなど様々な意見があるようです。SNSの利用を制限するのもいいですが、個人的には子供たちへのリテラシー教育にもっと力を入れて欲しいなと思いますね。

そんなSNSの有害な部分を煮詰めて凝縮させたような映画が今回感想を書く『エディントンへようこそ』です。

今回監督を務めたアリ・アスター監督はホラーとコメディのギリギリの境界線を綱渡しているような作風が好きで過去長編3作とも観ているのですが、今回は前作『ボーはおそれている』同様かなりコメディに寄った作風だと感じました。

コロナ禍による社会の分断や陰謀論などシビアなテーマを扱ってはいるものの、前作に引き続き主演のホアキン・フェニックスの演技や突飛な行動で何度も頬を引き攣らせるような黒い笑いが多かったですね。

特に前半は保安官ジョーが市長選に名乗りを上げてからは警察を私物化したり、妻からは相手にされなかったり、誇大妄想的になったり、かなりダメなおっさんぶりでした。ですが、最終的にブチ切れて人を殺める所まで行ってしまうと日本のSNSを悪用してデマなどを流布した選挙戦などを思い出してなかなか笑えなくなってきます。

コロナウイルスを信じていないのもSNSの影響でしょうし、気を大きくして急に市長選に立候補したり、妻からの返信がないのを不安がったり、SNSが人の中にある不安や自己の欲求を増大させる装置として描かれていて、映画全体が急に恐ろしく見えてきます。

話は変わりますが、アリ・アスター作品で個人的フェチズムで楽しみにしている「人が何かから逃げようとしてガラスを突き破るシーン」が今作でもあって満足でした。ただ、突き破った直後既に絶命していたのかピクリとも動かなかったのがマイナスポイントでしたね・・・。

風刺には向いてない

後半、ジョーがホームレスの怪しげな老人を撃ち殺してからは、ガラッと映画の雰囲気が代わってアリ・アスター監督には珍しく銃を使ったアクションなどジャンル映画的な方向にシフトしていきます。

前作『ボーはおそれている』でも前半と後半で映画のジャンルというかスピード感が変わる所がありましたが、流石に語られている話が鈍重かつ抽象的でかなり批判されている印象だったので、今回はかなり意識的に分かりやすいアクションで見せようとしたのかなと思いました。

分かりやすいとは言っても色々なことが数珠繋ぎ的に連続で起こるので、何が起こっているのかを把握するのに必死で気が付いたら映画が終わっていたというのが正直な感想ですね。

情報量の多さや、誰が何の目的で何をしているのか、断片を見ただけでは物事の全体像が把握しにくいSNSという媒体を、スクリーン上で起こっていることの因果関係をわざと曖昧にして表現しているのは伝わってきましたが、それにしても変な映画でした。

アリ・アスター映画といえば、冒頭から物語の行き着く先は決まっていて、主人公はそれに抗うことができないという運命論的な閉じた世界観や語り口が特徴ですが(見方によってはかなり露悪的)、今回のSNSや社会の分断というテーマを扱う上ではかなりミスマッチな気がします。

『ヘレディタリー 継承』や『ミッドサマー』のような狭い且つ特殊なコミュニティや社会の中で描く分には「個人的な体験を元にしたフィクション」で言い訳出来てしまいますが、今回に限ってはそうはいきません。

「エディントン」という限定的な架空の町を舞台にしてはいますが、取り扱っているテーマが実際に起こった事件や世界に広がっている問題である以上、企業によるデータセンター建設が止められずSNSによる分断は結局止められないといった冷めた終わり方はこの映画ではして欲しくなかったです。

以上、『エディントンへようこそ』感想でした。

ポスター画像:「エディントンへようこそ」(C)2025 Joe Cross For Mayor Rights LLC. All Rights Reserved.

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