
あらすじ
早くに両親を亡くし叔母のオルガの元で暮らす孤独な少年エリオ。ある日、博物館に展示予定のヴォイジャー探査機に搭載されている「ゴールデンレコード」を偶然見つけると、たちまち宇宙の世界に魅了され、地球外知的生命体との出会いを夢見るようになる。
この日をきっかけに浜辺にメッセージを書いたり宇宙に向かって無線で呼び掛けたり、なんとか宇宙人に誘拐されたいエリオだったが、夢中になるあまり他の子供たちとは上手くコミュニケーションが取れず、オルガとの関係も進展せずに孤独を深めるばかり。
しかし、そんなエリオの元に遂にその時が訪れる。様々な星の代表が集まった「コミュニバース」が現れエリオを招き入れるのだが・・・。
このあらすじは[mugenvoyger]によってオリジナルで書かれています。
ヴォイジャー計画
地球外知的生命体探査( Search for Extra Terrestrial Intelligence)というものがあります。地球外知的生命体による宇宙文明を発見するプロジェクトの総称で、頭文字をとってSETIと呼ぼれています。現在世界では多くのSETIプロジェクトが進行しています。
映画『星つなぎのエリオ』に登場するNASAによるヴォイジャー計画もそのひとつで、「ゴールデンレコード」を搭載し1977年に打ち上げられたヴォイジャー1号&2号は2025年現在太陽圏を離れ、地球外知的生命のコンタクトを待ちながら今なお地球にデータを送り続けているそうです。(NASA)
孤独をつないで
映画冒頭のエリオが「ゴールデンレコード」の展示を見つけるくだりの演出がとにかく素晴らしかったです。机の下で人形遊びをしていたエリオが叔母たちの会話を聞いて抜け出し、他の家族の姿を寂しそうな目で見つめているだけで、彼がどんな感情を抱いているのかが、説明的なセリフ無しで伝わってきます。
展示が始まってからは、ヴォイジャーの映像とナレーションの間にエリオの顔のアップが映されることにより、表情の変化でどのセリフでヴォイジャーに共感し憧れを抱いたのかが明確になることによって、エリオへの感情移入が一気に高まる演出です。宇宙の光や抑制の効いた音楽の力も相まって非常に美しいシーンになっていると思います。
極端な話をすると、この映画が持つ”寂しさ”や”孤独”といったテーマへの回答がこの冒頭のシーンで示されていると思います。確かに人はどこまで行っても本質的には孤独だが、同じ孤独を抱えた人の想いが乗った人工物(宇宙探査機や映画や小説)を通して部分的にであれシンパシー(共感)を感じ繋がっていられる。そんな作り手たちの世界中の子供達への優しい思いが伝わってきました。
エンパシーが足りない
では冒頭以降の作りはどうだったかというと・・・正直問題のほうが多いシナリオだったと思います。特に問題なのはエリオとオルガの関係性の変化の描写でしょう。
宇宙に魅了されたエリオは他の子供達や子育てに不慣れなオルガの気持ちを考えずに、自分のしたいことだけに邁進します。一方、オルガもなぜエリオが宇宙に夢中になっているのかを理解しようとせず、嫌がるエリオを半ば無理やり寄宿学校に入れてしまいます。これはお互いに他人へのエンパシーを欠いている状態です。
シンパシーとエンパシー日本語でどちらも“共感”と訳されることが多いですが、言葉のニュアンスは多少異なってきます。シンパシーは他人の感情を読み取り共有する能力ですが、エンパシーは異なる価値観や状況の他人に対して、所謂”相手の立場になって考えられる能力”です。
エリオとオルガも困難を乗り越える過程にこのエンパシーという能力を獲得してお互いに成長することでカタルシスが生まれ、感動的な話になったと思うのですが、その描写が薄く強引にセリフに頼ったシナリオだと感じました。
特に終盤、二人が宇宙船に乗って宇宙に飛び立つシーンでは、宇宙飛行士を目指していたオルガが成り行きとはいえエリオのおかげで宇宙に来られたのに、そのことに言及しないのはかなりもったいなかったです。
冒頭やグロードンなどの地球外知的生命体の造形など良い部分もあっただけに惜しい作品になってしまったなというのが全体的な印象です。
以上、『星つなぎのエリオ』感想でした。
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