
創造した後は考えてない
「フランケンシュタイン」は怪物の名前、という勘違いはよくあることですがそれも無理からぬ話で、メアリー・シェリーによる原作の時点で博士であるヴィクター・フランケンシュタインより、彼によって生み出された怪物の方がはるかに普遍的で魅力のあるキャラクターになっているからで印象にも残りやすいです。
一方博士の方はどうかというと、自ら望んで作り出した怪物をただ醜くて恐ろしいという理由(しかも醜いのは自分の腕が悪いせい)で逃げ出し怪物を放逐します。怪物が望まれずに生まれてきた子供や、人種や性差で差別を受ける人の比喩だと分かっていても、博士の行動には説得力が欠けています。
今回のギレルモ・デル・トロ監督による『フランケンシュタイン』ではヴィクター・フランケンシュタインという人物の過去や半生を丁寧に描写をすることによって、原作や従来の映像作品よりもずっとこの人物の言動に一貫性があり、説得力のある物語になっています。
オスカー・アイザック演じるヴィクター・フランケンシュタインは幼少時から貴族であり医者の父親から自分の後を継がせるために体罰も厭わない厳しい教育を受けています。唯一の理解者であった母親を救えなかったことをきっかけに父親に反発し憎むようになります。そして死からの克服の研究に取りつかれていきます。
この家父長的な世界や社会により犠牲になる子供や女性というのはデル・トロ作品ではよく見られるテーマです。父親からの愛情が希薄で厳しく育てられたヴィクターが自ら作り出した赤子同然の怪物へも厳しく接し、早々に欠陥品だと見切りをつけるのは非常に説得力のある改変だと思います。
言うことを聞かずに動き回る怪物に手を焼いて「ろくに寝てない」「創った後のことは考えてなかった」と漏らす姿は世の育児をしない父親を皮肉っていて思わず笑ってしまいました。
自らを語ること
ジェイコブ・エロルディ演じる怪物の特殊メイクも素晴らしく、明らかに違う人間の肌が幾重にも折り重なっていて一目で常人ならざる雰囲気が出ています。(よくある縫い目だらけの姿をリアルにすると只の大怪我をした人にしか見えないので・・・。)
材料になる人の死体を戦争による戦死者から調達していたのも良かったです。強権的な支配者が起こす戦争という”大きな物語”の犠牲者の怨嗟のようなものが怪物に込められている気がします。
今回の映画はヴィクター・フランケンシュタインの物語の比重が多くなっていますが、怪物側の物語も原作からの重要な改変が行われています。
怪物が盲目のおじいさんの前に姿を現すシーンですが、原作ではおじいさんの息子家族が帰ってきてしまい問答無用で襲い掛かられ怪物が逃げ出すという展開になります。映画ではせっかく怪物を受け入れてくれたおじいさんが狼の群れに殺されてしまいます。
単純に怪物の悲劇性が増していますし、基本的に世界は弱肉強食で厳しいものだということを理解した怪物が、この世界で孤独に死ねもせずに生き続けなければならない絶望感が伝わってきます。ジェイコブ・エロルディの特殊メイクの下からでも伝わってくる繊細な表情の演技もよかったです。
だからこそ終盤に自らの物語を語り、創造主で父でもあるフランケンシュタインを赦し、赦され、太陽の光を浴び本当の意味での生の実感を得る最後は大きな感動がありました。
以上、『フランケンシュタイン』感想でした。
ポスター画像:(C)Netflix
